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      <title>ご当地グルメ</title>
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      <description>美味そうなモノだらけ・・・</description>
      <language>ja</language>
      <copyright>Copyright 2012</copyright>
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         <title>お漬物について　６</title>
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製造者名の表示でも、末尾にAとかBとかというような略号が付いている場合、たいていは下請け業者の製品です。


有名な老舗の製品の中にも、下請け製品が意外に多いことを表示から読み取ることができます。


最近、地方自治体の中で、表示方法や表示内容の規定を独自の条例で強化しているところがあります。


京都市条例では、包装された漬物の表示がかなり細かく定められているので、買う側にはよい参考になります。


しば漬けと呼ばれる京都名産品の漬物の中には、シソの葉の色できれいな色を出しているものもあれば、着色されたものもあったりするし、シソのにおいで特有の香りを出しているものもある一方、香料の助けを借りているものもあるというようなことが、表示から浮かんできます。
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         <pubDate>Sat, 12 May 2012 17:10:59 +0900</pubDate>
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         <title>お漬物について　５</title>
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野沢菜の漬物でも、見かけの色にこだわっていると、着色されたものを選ぶことになります。


昔、漬け込んでいる間に自然に色が変化したナスや野沢菜を、べっこう漬と呼んで風味を楽しんだことなど、知る人は少なくなりました。


その二は、外見だけで判断せず、材料を知るために表示を読む習慣をつけることです。


表示の規定はまだ不完全かもしれませんが、それでもいろいろな情報を伝えてくれます。


店頭に並べられた野沢菜の漬物の中に着色されたものがあること、また塩漬のように見えながら、実は醤油漬という品名が付けられているもののあることなども、表示からわかります。


塩漬のような醤油漬が作られる理由は、塩漬ではソルビン酸カリウムのような保存料が使用できないという規定があるからです。

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         <pubDate>Mon, 16 Apr 2012 17:10:28 +0900</pubDate>
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         <title>お漬物について　４</title>
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福神漬は、調味液に漬け込むという方法で短時間に作られます。


調味液の二、三種の配合例を調べてみると、氷酢酸、クエン酸、乳酸などの酸味料、ソルビット、サッカリンなどの甘味料、ニューコクシン、タートラジン、カラメルなどの着色料、ソルビン酸カリウムという保存料、ほかに香料、化学調味料などの食品添加物が適当に組み合わされています。


こうした赤い福神漬が普及するにつれて、料理の専門家までがほんものの色を忘れてしまった、というわけです。


福神漬の例から、大事なことを二つ引き出すことができます。


その一つは、漬物材料の形や色に思い込みがないかということです。


たとえば、ナスほ、漬物になっても紫紺色と決めてかかると、硫酸鉄や焼ミョウバンという色止めを混ぜることが常識となり、さらには着色されることさえもおこります。


外国から輸入され、どこかの名産品に化けることのあるナスの漬物が、きれいな色を保つのも、色止めや着色がほどこされているからです。

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         <pubDate>Wed, 14 Mar 2012 17:10:12 +0900</pubDate>
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         <title>お漬物について　３</title>
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最近では、少ないけれども、家庭の手作り以上の厳しさで漬物を作っている店が少しずつ復活してきましたが、そういう店に有名な料理店から福神漬の注文が入ることがあります。


さっそく、見本を届けた店員が、板前さんから「こんな色の悪い福神漬が客に出せるか。


本物の赤い福神漬を持ってこい」としかられ、目を白黒させるという一幕がまだ見られるそうです。


福神漬は、明治になってから売り出された比較的新しい漬物です。


ダイコン、カブラ、ウリ、ナス、ナタマメ、ゴボウ、レンコン、タケノコ、シソの実、トウガラシなどの野菜のうち、七種を醤油、みりんで煮含め、ある期間熟成させます。


七種の野菜を使うところから、七福神の縁起とつなげて福神漬の名が付いたということです。


こうして作られた福神漬の色は、茶と黒の中間色となり、その時々によって茶色がかったり、黒っぼくなったりします。


それでは、先ほどの板前さんが本物は赤いと思い込んだのはなぜでしょうか。


市販されている福神漬の大部分が、赤いきれいな色をしているから、と考えられます。

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         <pubDate>Mon, 13 Feb 2012 17:09:58 +0900</pubDate>
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         <title>お漬物について　２</title>
         <description>
最近、二、三のメーカーが、ベッタラ漬の伝統復元のために努力していると聞きました。


大いに期待しています。


江戸前のすし屋ではよくべッタラ漬を出しますが、速成のべッタラ漬では、せっかくのすしの味が吹き飛んでしまいそうです。


材料からみても、作り方からみても、本当のべッタラ漬を作っている漬物店では、麹のうまみを客に理解してもらうのはなかなか難しいと言います。


本格的にベッタラ漬を作りたくても、踏み切ることのできない業者は少なくないでしょう。


この例でもわかるように、ほんものの味が失われたまま年月がたつと、食べる側に真偽を見分ける味覚が戻らなくなります。


そうなれば、作る側もほんものを作る勇気が出てこなくなります。


一種の悪循環が起こります。


これは、味だけでなく、形や色についても言われることです。

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         <pubDate>Tue, 10 Jan 2012 17:09:48 +0900</pubDate>
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         <title>お漬物について　１</title>
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旧暦10月19日夜、江戸の昔から現在の東京は大伝馬町一帯でべったら市が開かれ、その際、生干しダイコンを麹と塩とに30～40日ほど漬けた漬物が口開きされて売り出されました。


これがベッタラ漬です。


現在では陽暦の当日に開かれます。


時期的に一カ月余り早すぎるという理由だけでなく、本当に麹の作り出す甘みと浅い塩漬のうまみを出させる方法をとらなくなったので、ベッタラ漬の本当の味はだんだんとわからなくなってきました。


皮をむき、真っ白な肌をしたダイコンに甘味料で味をつけ糊料で表面のテリを出したインスタント漬物が、ベッタラ漬の名で売られているのをよく見かけます。


麹を使わない場合さえあります。


サッカリンなどの甘味料で甘くし、CMC(繊維素グリコール酸ナトウリウム。木材のパルプから作る)などの糊料や増粘多糖類で表面のヌメリとテリを出し、見栄えをよくします。

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         <pubDate>Mon, 12 Dec 2011 17:09:30 +0900</pubDate>
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         <title>用語発生後</title>
         <description>用語発生後100年未満の時期に既に「その義」が不明になっており、これを詳かにすることは将来ともきわめて困難でしょう。


したがってこの問題についてはなお後考を侯つこととして、ひとまずこれ以上の穿馨を避け、次にこのような新しい呼称の生まれてきた社会的背景について若干の検討を加えておきたいと思います。


17世紀初頭は塗籠式城郭建設の最盛期で、これを通じて左官工事の生産力は心激に伸び、またこの問、糊料の改革や有色壁の普及など、技術的にも顕著な進歩が認められました。

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         <pubDate>Mon, 07 Nov 2011 17:54:42 +0900</pubDate>
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         <title>律令官名のサカン</title>
         <description>律令体制が遠く崩れ去った近世初頭、突如として「左官」が壁塗り職の呼称として現われてくるのです。


このように見てくれば、壁塗り職と律令官名のサカンとの結びつきは全くなく、『大言海』に集約される一連の解釈は無理と結論せざるを得ない。


おそらくは谷川士清(『和訓栞』の著者)や喜多川守貞（『守貞漫稿』)がその豊富な古典に関する知識から発想し、発音の類似から「左官」の語源を官名の「厨」に求め、これを受けて大槻文彦(『大言海』)が敷術し、他に拠るべき論もないまま、現在、最も権威ある説として定着したものでしょう。


以上見たとおり、結局、従来の「左官」の語源に関する考証は首肯し難いものばかりです。
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         <pubDate>Wed, 05 Oct 2011 17:54:06 +0900</pubDate>
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         <title>もっと満足できる検証</title>
         <description><![CDATA[占いの検証を色々と調べてみてきましたが、もっと満足できる検証は、ゴークラン夫妻が彼ら自身の研究のために集められた誕生データを一連の論文で公表した事実の使用です。


彼らは、科学者たちが彼らの分析を検討し、彼らが集めた莫大な原資料に基づいてさらに研究をすることを望んでいます。


シャンクス(1987)はそれを実行した数少ない研究者のひとりです。


彼は、ゴークラン夫妻がフランスの戸籍登録所から集めた家族誕生データの報告書(もともとはー第十章でのべられるようにー惑星遺伝効果を検証するために用いられた)から960のカップルを無作為に選んだ。


対照群は、無作為に組み合わせられた異性ペアによって形成されました。


伝統的占星術に基づいて、シャンクスは、結婚カップルが共通にもつと考えられる相について十二の予測をしました。


＞＞今話題の<a href="http://www.e-aine.com" target="_blank">占いはこちら</a>]]></description>
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         <pubDate>Sat, 24 Sep 2011 18:12:10 +0900</pubDate>
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         <title>壁塗り職と官職</title>
         <description>律令制下において壁塗り職と官職としてのサカンとが関係づけられるのではないかと思われる資料を検討しておくとしましょう。


天暦四(950)年9月23日付太政官符には次の記録があります。


清宗氏秀、石灰長上の労を以って、去年山城権少目に任ぜらる。


ここにいう「石灰長上」は石灰工主任技術者の義で、この時期、石灰の取扱いが土工から分離し、ともに木工寮に所属していた事情は前に述べました。


一文の意味は清宗氏秀という人物が、その職にあって功があったので、山城国の「権少目(ゴソのショウサカン)」に任じられたというもので、このあと氏秀の子息を石灰長上の後任に補そうという記事がつづく。


しかしここでいっているのは石灰長上より山城権少目へのいわば昇任であって、技術者そのものを「目」に任じたわけではありません。


したがってこの記録をもって古代における壁塗り関係職と左官という呼称を関係づけることはもとより早計で、しかも管見のかぎりでは、これが両者の名称が並記されている唯一の資料です。
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         <pubDate>Sat, 10 Sep 2011 17:53:42 +0900</pubDate>
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         <title>呼称</title>
         <description><![CDATA[例えば藤原定家邸上棟の際には、「壁塗」は「番匠男」・「桧皮葺」に次いで三位におかれており、また天喜五(1057)年の東大寺修理では「木工」の次に位置していた(『東大寺修理所日記』同年12月28日付)。


このような場合に一定しているのは番匠(木工)がトップに来ることくらいで、他職はその<a href="http://www.tosou-navi.jp/" target="_blank">外壁リフォーム</a>に寄与した実情に応じて順位が定められると見るのが自然でしょう。


したがってこの順位が「左官」という呼称を生んだとする推測も当っていません。
]]></description>
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         <pubDate>Mon, 08 Aug 2011 17:52:51 +0900</pubDate>
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         <title>似た働き</title>
         <description><![CDATA[ビタミンB12と葉酸のところで指摘したように、この二つが不足すると同じような欠乏症を示すことからも、ビタミンは似た働きや一緒に働くことが孝えられます。


まず、最初にB群ビタミンと<a href="http://www.healthy-one.co.jp/online_shop/detailsfile/echinacea.html" target="_blank">エキナセア</a>の協力作用を考えてみます。


B群ビタミンのところで述べたように、B群ビタミンはすべて補酵素として働いています。


この働きは同じ所で一緒に働かなくても互いに関連をもっています。


飛行機のように空を飛ぶならいざ知らず、代謝という一つの川の流れのように決ったところを通っていくルートには、所々に色々なB群ビタミンが関係しています。

]]></description>
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         <pubDate>Tue, 26 Jul 2011 13:17:12 +0900</pubDate>
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         <title>工学者　５</title>
         <description>クラーク・チャップマン社は舶用エンジンも作っていてこれを発電の駆動源に使おうと計画していました。


この問題に興味をもっていたパーソンスは駆動源には蒸気タービンが最良と考え、1884年に彼は独自の設計になる蒸気タービンの特許をとった。


パーソンスのタービンは固定翼と回転翼が何段にも交互に並んだ構造をしており、各段ごとに蒸気はゆっくり膨張できるようになっていました。


これは膨張が1段だけで行われるド・ラバール形のタービンとよい対照をなすものです。


その結果、低い回転速度での運転が可能で回転子の直径をもっと小さくできました。

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         <pubDate>Sat, 16 Jul 2011 12:36:28 +0900</pubDate>
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         <title>律令制下における実情</title>
         <description><![CDATA[律令制下における実情は、当時の<a href="http://www.tosou-navi.jp/" target="_blank">外壁リフォーム</a>すなわち土工技術職が「土工司」に統轄され、そこでは他の諸官司と同様「正」以下「厨」をも含む各級の有位者(事務官僚)が彼らの管理職として在任していたのであるから、ここでも壁塗り職を特別扱いする必要はなく、技術職に対し管理職と同じ官名を名乗らせることはかえって混乱を招く原因ともなりかねない。


次に、中世以前において著名寺院等の立柱あるいは上棟時の賜禄において、壁塗り職が常に四番目に置かれるとはかぎっていません。

]]></description>
         <link>http://hawaiian-flowers.net/2011/06/post_44.html</link>
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         <pubDate>Tue, 07 Jun 2011 17:52:29 +0900</pubDate>
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         <title>工学者　４</title>
         <description>ケンブリッジ時代にチャールズ・オルガノン・パーソンスは回転形の蒸気機関を設計し製作した。


このころすでに彼は回転物にとりつかれていたのは明らかです。


ケンブリッジを出た彼は父の希望でニューカッスル・アポン・タインのエルスウィックにあるアームストロング卿の工場に実習生として送られました。


彼の父は実地の工学体験を積むならばここが一番と確信していたのです。


ここでパーソンスは時間を見つけて自分の実験を行った。


その中にはロケット駆動の魚雷もありました。


実習を終えたパーソンスはゲーツヘッド・アポン・タインにあるクラーク・チャップマンの工場にパートナーとして加わった。


当時この工場はサンダーランドのジョセブ・スワンが発明したばかりの電気による照明に関心をもっていました。</description>
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         <pubDate>Mon, 16 May 2011 12:36:09 +0900</pubDate>
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